モハメド・アミン



モハメド・"モー"・アミン(Mohamed "Mo" Amin 1943年8月29日生)
 [ケニア・写真家/ジャーナリスト]


 ナイロビ生まれ。エチオピア大飢饉をテーマにした写真で有名である。この写真により世界各国はエチオピアへの支援を行い、彼はエチオピアから英雄視された。1991年6月4日、エチオピア内戦下のアディスアベバで炎上中の弾薬庫の爆発に巻き込まれ(助手は死亡)、左腕を切断したが義手を付けて活動を続けた。

 1996年、エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件で、著書の共著者と共に死亡した。なお、生存者の証言によると、死の瞬間まで乗客を守るためにハイジャック犯を説得しようとし、救命胴衣をつけていないどころか席に座っていなかったという。

 1996年11月23日、エチオピア・アディスアベバ発コートジボワール・アビジャン行きとして運航中のエチオピア航空961便(ボーイング767-200ER)が離陸から45分後に「爆弾(と称するもの)」を持った3名の犯人によってハイジャックされた。機長は今回で3回目のハイジャックの経験であった。犯人はオーストラリア行きを要求したが、当該機はケニア・ナイロビなどを経由する予定であったため、オーストラリアまで行くために必要な量の燃料を搭載していなかった。犯人らはボーイング767の最大航続距離ならばオーストラリアまで行けると主張し、燃料を搭載していないという機長の意見を嘘と決め付けた。機長はナイロビに燃料補給のために着陸するのを犯人らに拒否されたため、不可能なインド洋の横断に挑まざるを得なくなった。

 機長は、状況を打破すべく管制官と犯人らを無線で会話させたが効果がなかった。そこで、犯人らの隙を見計らって、乗客達にそれとなく蜂起するよう呼びかけた。偶然乗り合わせていたモハメド・アミンがこれに応じ、乗客達に蜂起を呼びかけたが、立ち上がる者はいなかったという。

 燃料が枯渇した961便は、インド洋に浮かぶ島国コモロの空港に着陸しようとしたが、途中で燃料は尽きてエンジンは停止、グライダー状態で高度を落しながらコモロ諸島にたどり着いた。機長は一度は空港を確認したものの犯人と争った際に空港を見失い、そのため海上に不時着水しようとしたが犯人は機長の頭を殴るなど(犯人は泥酔状態だったといわれている)したため、操作に失敗して左翼から先に海面に突っ込んだうえに横転・墜落した。墜落のとき機体の速度は通常の着陸速度を100kmも上回る370km/hを超えていた。陸地への不時着は機体が滑走するが、海面への不時着は全て抵抗になる上に、767の機体はエンジンが翼の下に付いていたために衝撃が瞬間的に加わり機体は3つに分裂、機内に海水が流入し犠牲者が増えることになった。

 この現場は海水浴場から多くの目撃者(その時の墜落場面は観光客のビデオに収められていた)がいたため、すぐさま救助活動が始まったが、乗客乗員175名のうち犯人3人を含む123名が犠牲となり、機長・副操縦士を含む52名が負傷・救助された。モハメド・アミンも犠牲となった。なお、不時着前に救命胴衣を膨らませた乗客が多く、これが脱出の際に邪魔になったのも乗客の被害が大きかった理由のひとつである。

 事件後、犯人らの目的が何だったのかについて調査されたが、政治的な動機や何らかの組織との繋がりなども一切見出すことはできず、犯人自身も死亡したためオーストラリアに向かおうとした目的は永遠の謎となった。ただ、機長と犯人の会話で犯人が秘密警察に拘束され拷問を受けていた・オーストラリアに支援者がいると話していたとの情報もあり、オーストラリアへ亡命しようとした説が有力である。

 1996年11月23日死去(享年53)


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