ベーナズィール・ブットー



ベーナズィール・ブットー(Benazir Bhutto 1953年6月21日生)
 [パキスタン・政治家]


 父は大統領も務めたズルフィカール・アリー・ブットー元首相、祖父はパキスタン独立運動の中心人物の1人であったシャー・ナワーズ・ブットーという、パキスタン南部の政界名門の家庭に生まれ、ハーバード大学およびオックスフォード大学に留学してエリート教育を受けた。1973年にベーナズィールは政治学の学位を得て大学を卒業し、パキスタンへ帰国したが、1979年に父親はムハンマド・ズィヤー・ウル・ハック将軍の軍事クーデターで失脚し処刑され、彼女は自宅に軟禁状態となり、1984年1月に英国へ亡命する憂き目にあった。

 1986年4月、ハック大統領が戒厳令を解除すると直ちに帰国、5月パキスタン人民党(PPP)共同総裁となり真っ向から同大統領に挑戦、民主化を求める国民大衆の熱気をあおり立てた。1987年、実業家であるアースィフ・アリー・ザルダーリーと結婚。ハック大統領死後の1988年11月のパキスタン総選挙でPPPは圧勝、第1党総裁となり、12月に植民地独立後のイスラム諸国家で最年少 (当時35歳) かつ初の女性首相に就任した。同年、ベーナズィールはビープル誌で「世界でもっとも美しい50人」にも選出された。また、1990年1月に第二子出産、在任中に出産した初めての首相として話題となった。だが、首相を2度務めた末、汚職を告発されるなど様々なスキャンダルが原因で1996年に失脚、汚職訴追から逃れてイギリス等に事実上亡命していた。スキャンダルのうちの幾つかは、彼女の首相在任中にスイス企業に図られた便宜が含まれておりそれらは未解決のままである。彼女の夫アースィフ・アリー・ザルダーリーはスキャンダルへの関与により逮捕され、2004年11月まで刑務所に収監された。

 ベーナズィールは政界復帰を目指し2007年10月、8年ぶりにパキスタンへ帰国し、故郷のカラチで帰国遊説中に自爆テロに遭遇したが、その際は難を逃れた。このテロで彼女の支持者136名が死亡し、450名以上が負傷した。その後、2007年12月27日、イスラマバード郊外のラーワルピンディーで選挙集会に参加中、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃(首と胸に受けた)と自爆テロにより暗殺された。自爆テロにより、集会現場に居合わせた支持者や警官にも20名程度の死者が出た。後にアルカーイダのサイイド・アル=マスーリが犯行に関与した旨の声明を出したが、詳細は不明である。ベーナズィールの亡骸は翌日に一族の墓に葬らた。

 2007年12月27日死去(享年54)





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