ロ・セレイソティア



ロ・セレイソティア(Ros Sereysothea 1948年生)
 [カンボジア・歌手]


 バタンバン州で生まれたが、家庭は貧しかったためにクメールの伝統音楽を演奏することで生計を立てていた。彼女の兄弟「セレイ」とともに歌ったデュエット「セレイ・ソティア」は非常に有名になり、首都のプノンペンに行ってクラブでの仕事を見つけた。彼女の鈴のような歌声とディーヴァのような個性で、セレイを凌ぎソロの歌手となった。

 音楽シーンのリーダーとして、ポピュラーな西側のロックをクメール語の歌詞で歌った。そして、当時のノロドム・シハヌーク国王から「王都の黄金の歌声」の称号を授けられた。しかし、この飛ぶ鳥を落とすような経歴は、1975年4月のクメール・ルージュの占領によって突然断ち切られた。プノンペンの全住民は強制移住させられ、セレイソティアはコンポンスプーの労働現場に居住させられた。経歴がクメール・ルージュの指導者に知られると、政治体制を賛美する歌を書き、歌わせられた。歌っていないときには、他の人々のように採掘灌漑溝での労働を要求された。

 1977年、ポル・ポトによってその部下のうちの一人と強制的に結婚させられた。そして残忍なキリング・フィールドの体制の間に、不可解な状況の下で姿を消し、典型的に死亡(虐殺された)したと考えられている。

 1977年?月?日死去(享年29)





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