バーノン・フォレスト



バーノン・フォレスト(Vernon Forrest 1971年1月12日生)
 [アメリカ・プロボクサー]


 ジョージア州生まれ。幼少の頃からボクシングを始め1991年には世界アマチュア選手権ライトウェルター級で銀メダルを獲得し、国内のアマチュアタイトルも獲得した。翌1992年にはライトウェルター級アメリカ代表としてバルセロナオリンピックに出場した。アマチュア時代の戦績は225勝16敗という記録を残した。

 オリンピック出場後、プロ転向を決意し1992年11月25日にラスベガスでプロデビューする。プロとしても連勝を重ね、1995年11月28日には全勝のままマイナータイトルながらIBC世界スーパーライト級王座を獲得した。その後階級をウェルター級に上げ、1997年11月7日にはWBCアメリカ大陸ウェルター級王座を獲得、さらに1998年8月18日にはNABF北米ウェルター級王座を獲得した。同王座を4度防衛した後、2001年5月12日には空位のIBF世界ウェルター王座を獲得しメジャー世界王座を獲得した。

 この頃には人気も急騰し「The Viper(毒ヘビ)」の異名を持っていたフォレストはIBF世界ウェルター王座を返上して2002年1月26日にWBC世界ウェルター級王者のシェーン・モズリーとのビッグマッチに臨んだ。この試合に12回3-0判定で勝利しWBC世界ウェルター王座を獲得した。シェーン・モズリーとは約半年後の7月20日にダイレクトリマッチで対戦したが、この試合にも12回判定で勝利して初防衛に成功した。シェーン・モズリーを下したことで一躍評価を上げ、2003年1月25日にWBA世界ウェルター王者のリカルド・マヨルガとWBA・WBC世界ウェルター王座統一戦を行うが、3回TKOで敗れ王座から陥落した。この敗戦は自身のキャリアでも初黒星であった。マヨルガとは7月12日にダイレクトリマッチで対戦したが、またしても12回判定で敗れた。

 その後、約2年間のブランクを作ったが、2005年7月16日に階級をスーパーウェルター級に上げてカムバックする。3戦のノンタイトル戦を勝利したフォレストは2007年7月28日に空位のWBC世界スーパーウェルター級王座をカルロス・バルドミールと争い、これに勝利して2階級制覇を達成した。12月1日にはミケーレ・ピッチリーロと対戦し、11回TKO勝ちでWBC世界スーパーウェルター級王座の初防衛を果たした。しかし、2008年6月7日の2度目の防衛戦でセルヒオ・モラと対戦し、0-2の判定負けで王座から陥落した。9月13日、セルヒオ・モラとダイレクトリマッチで対戦し、3-0の判定勝ちで王座に返り咲くも、肋骨負傷により戦線を離脱し、同王座は防衛することなく2009年5月21日に剥奪された。

 2009年7月25日夜、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタのガソリンスタンドで、二人組の強盗に車を奪われそうになり銃で応戦したが、銃撃戦の末セミオート銃で8発の銃弾を受け射殺された。

 2009年7月25日死去(享年38)





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