ロレンツォ・オドーネ



ロレンツォ・マイケル・マーフィー・オドーネ(Lorenzo Michael Murphy Odone 1978年5月29日生)
 [難病副腎白質ジストロフィー患者]


 ロレンツォは副腎白質ジストロフィーという難病に悩んでいたが、治すことの出来る医師が居ないと知った両親(父オーギュストと母ミケーラ)は医学的知識が無いにもかかわらず自力で治療法を探すことを決意した。

 ロレンツォの両親は治療法を見つけ出すため、もはや手の尽くしようがないと信じる医師、科学者、支援団体らと衝突する。しかし自らの意志を貫き、医学図書館に通い詰め、動物実験を参照し、世界中の研究者や一流の医学者らに問い合わせ、さらに自ら副腎白質ジストロフィーに関する国際的シンポジウムを組織するに到る。

 死に物狂いの努力に関わらず、息子ロレンツォの様態は日々悪化する。次第に参加していた支援団体のコーディネーターからも疑いの念が抱かれるなか、両親は食餌療法として特定のオイル(実際にはエルカ酸とオレイン酸のトリグリセリドを1:4の割合で配合したもの)に関する治療法を思いつく。100以上の世界中の会社に問い合わせた結果、適切な方法で蒸留することが出来る定年間近の英国老化学者を探し出した。

 その後、ロレンツォは処置が遅れたため劇的な回復は見られなかったものの、簡単な意思表示や、絵本や音楽を楽しむまでには回復した。

 母親のミケーラが2000年7月に肺癌により亡くなり、父親のオーギュストがその後も看病していたが、2008年5月30日にロレンツォは誤嚥性肺炎のために死去した。

 副腎白質ジストロフィー(ALD)は、ロレンツォが発症した1982年当時、治療方法がまったくなく、診断されてから多くは2年以内に死亡することが多かった。両親が考案した「ロレンツォのオイル」はオレイン酸とエルカ酸の混合物で、ALDの病態である脱ミエリン化を起こす極長鎖脂肪酸(VLCFA)を低下させる一種の栄養療法である。血中VLCFA値の低下作用は明らかだったが、治療効果については当時より賛否両論であった。多くの患児の両親が「ロレンツォのオイル」を求めて争って投与したが、実際にはALD症状改善を認めることは少なかった。

 1993年のNew England Journal of Medicineに、「ロレンツォのオイルは無効である」という論文が発表されている。しかし、ALDの世界的な権威であったProf.Mosarは、「オイル」の臨床試験を地道に続け、2005年に「ロレンツォのオイルはすでに症状が進行した患児には無効だが、血中VLCFA値が高値を示す児の発症予防や症状軽減には有効」という画期的な論文を出した。現在では、スクリーニングによって発症前の患児を見つけ、早期から「ロレンツォのオイル」を投与して発症予防を行うというプログラムが北米では進められている。

 1992年、この実話に基づくアメリカ映画『ロレンツォのオイル/命の詩』が公開された。

 2008年5月30日死去(享年30)





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