ジルベルト・アラウージョ・ダ・シルバ



ジルベルト・アラウージョ・ダ・シルバ(Gilberto Araujo da Silva 1923年11月12日生)
 [ブラジル・パイロット]


 ミナス・ジェライス州サンタ・ルジア生まれ。ジルベルトは二つの悲劇(ヴァリグ・ブラジル航空820便墜落事故とヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故)によって有名なパイロットの一人となった。

 1973年7月11日、ヴァリグ・ブラジル航空820便(ボーイング707-320C)は、ブラジルのリオデジャネイロのガレオン国際空港からフランスのパリのオルリー空港に向かう定期便であった。便は大西洋を横断し、着陸直前まで順調な航行を続けていた。

 午後2時58分に『キャビンで火災が発生した』と緊急事態を宣言する通信が入る。緊急着陸の準備が進められたが、火勢が強まり操縦室の計器類も見えない状態となったため、機長のジルベルトは滑走路に辿り着くことは出来ないと判断、空港手前5kmの地点に不時着した。不時着の際に脚と左翼が折損、エンジンは脱落し、そのまま500m暴走した後に炎上した。

 迅速な救助活動が行われたが、この事故で乗員17名乗客118名の135名のうち124名が犠牲になった。犠牲者のうち、シートベルトをしていなかった航空機関士のみが外傷による死亡であり、その他123名の死因は火災で発生した一酸化炭素ないし有毒ガスを吸引したことであった(多くは不時着以前に亡くなっていた)。尚、生存者の内訳は乗員10名と乗客1名である。

 事故の引き金となった火元は客室後部右側のトイレの洗面ユニットが疑われたが、具体的な原因は特定できなかった。乗客による煙草の不始末ないし電気系統の欠陥とみられている。トイレ付近の備品が燃えやすかったことが原因の一つとして、連邦航空局(FAA)は耐火性ゴミ箱の設置、可燃性物質の排除、トイレ内の喫煙禁止を乗客に周知させる仕組みを求める改善命令「AD 74-08-09」を発令した。なお、ジルベルトの操縦は適切であったとされた。

 820便墜落事故から6年後の1979年1月30日、またしてもジルベルトに悲劇が起こる。彼の操縦するヴァリグ・ブラジル航空967便(ボーイング707-320F貨物機)は午後6時に新東京国際空港を離陸し、12時間後に給油のためアメリカ合衆国のロサンゼルス国際空港に着陸したのち、ペルーのリマ経由でサンパウロのヴィラコッポス国際空港に向かうフライトプランであった。しかし、同機は積荷の搭載に手間取り、定刻よりも2時間強遅れの午後8時23分に新東京国際空港を離陸した。30分後の午後8時53分に銚子沖740キロメートルの太平洋の位置通報地点で、同機から東京航空交通管制部への「次の位置通報地点通過は午後9時23分」との通信を最後に消息を絶った。

 当初、通信がないのは周波数を変えたためか通信機が故障したためと見られていたが、同機の搭載燃料がなくなる時刻になっても、太平洋沿岸のいずれの空港にも着陸せず、また手がかりもないため、運輸省は遭難と判断し、海上保安庁と海上自衛隊の航空機による捜索活動が行われた。しかし、墜落後も電波を発し続けるフライトレコーダーやボイスレコーダー、海面に漂う燃料はおろか、一切の機体残骸を発見することができず行方不明のままとなり、事故後30年以上経過した現在に至るまで残骸などは全く発見されていない。同機が消息を絶った地点は日本海溝の水深が5000メートル前後ある海域であり、当時の技術では探知不能な深海に機体が水没したと判断された。乗員6名(機長のジルベルト、副操縦士とセカンドオフィサー・航空機関士各2名ずつ)は死亡したものと認定された。

 事故機の積荷は、雑貨類、自動車部品など122個(およそ22000キログラム)であったが、その中に絵画など1200キログラムが含まれていた。この絵画には日系ブラジル人抽象画家として著名であったマナブ間部の作品53点が含まれていた。マナブ間部は熊本県出身で10歳の時に家族とブラジルに移民したが、成人してから様々な国際美術コンクールで受賞するなどブラジルを代表とする抽象画家となっていた。事故機に積まれていた絵画は、ブラジル移民70周年を記念して読売新聞社が主催していた「マナブ間部展」で展示された100点のうちブラジルに返還される絵画であった。この絵画の中には彼の代表作も含まれており、失われた絵画の当時の時価はおよそ20億円相当であった。金額もさることながら美術的に重要な絵画が失われた。なお、彼はその後14年かけて失われた1点1点を画き直したという。

 行方不明になった地点において事故機は、巡航高度10000メートル前後を飛行していたと考えられ、そこから緊急信号や地上への連絡を発することもなく突然墜落、消息不明に至り遺留品が全く発見されないのは大きな謎として残った。当日、付近には寒冷前線があり、それに伴う乱気流に遭遇して墜落したとの推測の他、金属疲労などによる機体の破損か、積荷の爆発やテロリストによって仕掛けられた爆発物によって機体が損傷したために操縦不能になって墜落したとの推測もあった。さらに、意図的に乗務員が自殺を意図して急降下したという推測や、「当該機にはアメリカ軍の機密物資が搭載されており、それを強奪しようとしたソ連の情報機関が機長を買収し故意に太平洋上に不時着させ、潜水艦で機密物資を回収した」という陰謀説まがいの推測まで語られることになった。また、機体の破片はおろか遺留品すら発見されなかった上に、「ドラゴントライアングル」と呼ばれるエリア内であったことから、「何らかの超常現象によるものではないか」、「未確認飛行物体に拉致されたのではないか」という報道もあった。しかしながら、いずれの説も事故機の機体の破片を発見出来なかった為に、推測の域を出ないものとなっている。

 なお、同様に海上を飛行していたものの、地上への連絡もなく突然墜落したエールフランス447便墜落事故やエジプト航空990便墜落事故、さらに大韓航空機爆破事件においても、事故後の捜索で機体の破片や遺留品、ボイスレコーダーやフライトレコーダーなどが発見され、その後の事故原因の解決につながっており、大型ジェット機の事故で機体の破片や遺留品が全く発見されていないケースはほとんどない。





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