ステートジャガー



ステートジャガー(1981年4月27日生)
 [競走馬(牡)]


 当初は地方競馬の南関東公営競馬でデビューし黒潮盃まで無傷の5連勝を果たすも、南関東三冠競走の羽田盃、東京ダービーではそれぞれ2着、3着とキングハイセイコーの後塵を拝した。そのあと笠松競馬場に移籍し、東海ゴールドカップを制するなど6戦3勝の成績を残した。

 1985年、古馬となって、中央競馬(栗東トレーニングセンター)に移籍。移籍初戦となったのはマイラーズカップだった。前年の優駿社賞最優秀短距離馬ニホンピロウイナーのほか、ダイアナソロン、シャダイソフィアといった新旧桜花賞優勝馬が出走するなどビッグネームが揃っていたが、ニホンピロウイナーから4分の3馬身差の2着に好走した。続くサンケイ大阪杯では牡馬クラシック三冠馬ミスターシービーとの叩き合いをハナ差競り勝つという大金星を挙げた。

 天皇賞(春)を回避して臨んだ宝塚記念では、シンボリルドルフが出走を取り消したこともあり単勝1番人気に推されたが、第3コーナー過ぎからまくっていく積極的な競馬をみせるも最後の直線コースで伸びを欠き、4着に終わった。しかし、宝塚記念は単なる敗戦にとどまらなかった。競走後に行われたドーピング検査で尿から禁止薬物であるカフェインが検出されたため、一転失格、賞金没収となったのである。競走前には、何者かからステートジャガーの薬物使用についての告発がなされていたとも報じられた。この一件は「ステートジャガー事件」と呼ばれ、警察による捜査が行われ、騎手の田原成貴にも事情聴取を実施したが犯人は特定されず、真相は藪の中であった。結局、管理調教師の中村好夫が管理責任を問われた形で日本中央競馬会によって6ヶ月間の調教停止処分を科された。

 事件後にも高松宮杯への出走が予定されていたが、ドーピング疑惑のある競走馬を出走させることに対する批判が起こったため、予定は取り消された。その後美浦トレーニングセンターに転厩したが、脚部の故障で約2年間一走もできないまま引退に追い込まれた。

 引退後は地方競馬時代の馬主であった佐橋五十雄が引き取り種牡馬となるも、地味な血統、GI級競走優勝のない競走成績、薬物疑惑とあっては種付け頭数が増えようもなく、目立った活躍馬を出せないまま廃用。佐橋の計らいにより、愛知県にある乗馬クラブに預けられる。ところが、残されたわずかな産駒から1993年にステートジョージが高崎競馬場で北関東菊花賞を勝ち、翌1994年にはメルシーステージが中央競馬で重賞を2勝するという活躍を見せる。これを受け、乗馬となりながらも大人しい性格から奇跡的に去勢を免れていたステートジャガーは、優駿スタリオンステーション社長・村田繁實の働きかけにより、奇跡的に種牡馬復帰の運びとなった。

 メルシーステージに続く仔を期待されたが種付け数は伸び悩み、復帰初年度の産駒(1995年産)の血統登録頭数は7にとどまり、新たな活躍馬を生み出すことはできなかった。1995年、種付け中に負傷し骨折したカウンテスアップの代役として青森県八戸市にあるワールドファームに移ったが、1997年にふたたび供用停止となり、その後の転売先は不明となっている。

 ステートジャガーが種牡馬としてふたたび供用されるきっかけを作ったメルシーステージは「孝行息子」として競馬ファンに認知されるようになった。引退後は行き先が決まっていなかったが、その「親孝行」に感銘を受けた青森の牧場主が身元を引き受け、そのまま青森で種牡馬として供用された。しかしもともと体質が弱かったため、1頭の産駒も残せないまま、翌1998年11月に死亡した。





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